視点・力点・作用点! ――『かんじ・平仮名の比率』『会話文の話』
出展:VIPトキワ荘―面白い小説ってどんなのだぜ?(1スレ目)

漢字の話。

307 名前: 受付(神奈川県) [sage] 投稿日: 2007/03/23(金) 15:38:15.47 ID:vW7POXBX0
 ・かんじと平仮名のまぜっぷりの尺度

全部漢字で書くと凄く読み難い。
でも、じゃあぜんぶひらがなでかいたらいいかというとこれもうざい。
なぜだろう?

なぜ漢字が多くなると読みにくくなるかというと、これは日本(と、推定で韓国)にのみ存在する問題で、
漢字とひらがなの密度「そのもの」で文意を読み取る読み方が可能だから。
漢字そのものが文章の今北産業として機能する。

漢字だけ抜き出しても文章の意味がわかるようなら、その漢字は重要だけれど、
抜き出したときに漢字にしないでもいいかなとおもったらそいつは平仮名のほうがいいかもね。

あと、漢字で構成される単語がビッタリ隣接すると読みにくさは跳ね上がる。
四文字熟語なのか、文章を構成しているのか一読して判別できないから。
逆もまた然り。ひらがなのみだと文意が読み取りにくくなる。
ひらがなにカタカナを混ぜても、カタカナの情報密度はひらがなと同じなので、
カタカナのバカっぽさっぷりはまさに頭がおかしくなって死ぬ。
ただ、エターナルフォースブリザードを永軍雪風などと圧縮してもやっぱり邪気眼です本当にry。
圧縮したこの四文字漢字が壮絶に邪気を放つのは、熟語じゃなくて単語だからかな。

この比率に関して国語文法上からの正解というものは存在しない。誰でも工夫次第、かな。
318 名前: 受付(神奈川県) [sage] 投稿日: 2007/03/23(金) 18:15:13.70 ID:vW7POXBX0
 ・どの単語を漢字にするか、あるいは無理にひらがなにするべき?

「何が」「どうした」と、文節の表意を分けて、何がの部分は漢字。どうしたの部分は平仮名。
だったりすると読みやすいかな。
読み難い、を読み易くしたい場合、読みにくいとするのが普通で、よみ難いなんて書かない。

実践として漢字を取捨する場合、総ての文章を接続詞ごとにバラしたあとに、冒頭を漢字に出来るならすべて漢字に。
その後ろは「すべて平仮名にしてみる」なんてのもやってみていいかも。
そこで妥協できない箇所が出てきたなら、そこで初めて読点を打ってみるとか。

読点の難しさというのも得意げに語られるけど文節上で接続詞はどうしても平仮名になるわけで。
次の文節が必ず漢字にできるとは限らないから、ひらがな同士をぶつ切りにするためにあるんだと割り切って認識してもいいと思うよ。
また、漢字がくっついてしまう場合もあるので、そこに打つのもいいね。
レポートなどでは文章を変えてしまえばいいのだけれど、創作となると語感や語呂にこだわりたくなるときはあると思う。

これは私の中の大雑把な用語や扱いで語っている話題であって本式な日本語文法の話じゃないから、
もしかしたら偉い人でも同じ事を言ってる人はいるだろうし、
またソンナの常識じゃよと誰かに言っても通じない率のほうが高いと思うので使用には充分ご注意の上、
自己責任でオネガイシマス。
321 名前: 受付(神奈川県) [sage] 投稿日: 2007/03/23(金) 18:29:44.63 ID:vW7POXBX0
>>320
漢字かな混じり文へのアプローチの話で、小説の話じゃないからねー。
創作支援のサイトでのハウツーで、この手の話っつたら重複表現シネ、とかテニオハがどうの、しかないじゃん?
テニオハはともかくとして、べからず集しかないなら苦労するなと思っていたので。

ベースになる考えは認知言語学とかプログラムとかのほうになってるとおもう。
この話のベースは、「外国で日本の雑誌の表紙はどんな遠くからでも一発で判る」という文章が元です。

この手法で面白い小説が書けるかというと無理でしょうけど。

会話・視点の話

313 名前: 受付(神奈川県) [sage] 投稿日: 2007/03/23(金) 16:54:23.36 ID:vW7POXBX0
 ・一度に登場させる視点は二つが限界なんじゃぜ?

登場人物A、Bの会話。地の文。この二つ以上の立場からの描写は出来れば避けるべき。
昔の超巨大大河小説なんかは平気でワシワシとキャラが登場するらしいんだけど、
現代と昔じゃ小説に求められる性質が違うからね。参考にしないほうがいいとおもう。

で、一つの場面(一、二と、章の中で区切れる塊)の中では一組の会話をするのが限度だと思う。
よほど読ませる工夫をしない限り、読者の忍耐がついていかない。挑むのはいいけど、難しいよ。
んなこといったって多人数出したい! っていうときは、
一組づつの会話ごとに場面を切ってしまうくらいのことはしたほうがいいかもね。

近来のラノベでやたら場面転換が多い作品があると聞くのだけれど、このへんの問題を意識してるんじゃないかな。
あと、読み手のキャラ認知や把握の能力が異常に高いので、ギュンギュンと展開させても、
「絵師がマトモなら」読みきってしまうという事情もあるだろう。
グラフィカルな認識や読み取り能力(妄想力)で、日本の漫画世代に比肩し得る人種は存在しない。

認識するべきは、投稿やこの手の晒し作品の場合、グラフィカルな認知をさせるという補助輪は存在しないので、
多人数同時バトルはやらないほうが無難なんじゃないかな? かな? いわゆる二次創作は除くよ?

今のところの晒された作品でこの問題が見られることはあまりないんだけど。
初代スレ主の>>1の文章は、登場人物4人同時+地の文というアクロバットをやっていたので書いてみた。
314 名前: 受付(神奈川県) [sage] 投稿日: 2007/03/23(金) 16:55:20.89 ID:vW7POXBX0
 ・名前と苗字って結構じゅうようなのぜ。

登場人物の名前が丸出ダメオと素直クーコで、二人の会話がメインの場合、
冒頭の登場以降はダメオとクーコでいい。
むしろそちらのほうが、彼らのプライバシーな会話の描写という雰囲気も出るよ。
この会話の場面でフルネーム(山田太郎左衛門)とかだすと、ああ、コイツはこの場面の部外者なんだな、
というメッセージになったりする。

 ・登場人物の、その場面におけるプライオリティ

名前と苗字によるプライオリティ、というか露出? のタグ付け具合によっては、
前記した約束を破って二人以上の登場も可能。苗字だけなら部外者ってニュアンスが強いが、
肩書きという強力な表記があるのです。

たとえば二人の会話に「警察官」を割り込ませたり、「基地指令」が号令をかけたり、
という具合に参加すると、読者としては非常に読みやすいながら三人目が登場することになる。
苗字よりも、なおいっそう部外者の感が強いのが肩書きなのです。

例外として一過性にとどめるのが難しいの肩書きがあって、それは学校の先生。
これは熟語の背後にある認識が問題になるんだけど、

肩書きというのは、大概一過性の登場人物として存在することが多いのだよね。自動車学校の教官とか。
対して教職というのは、継続的に影響を及ぼす存在なので、一瞬で登場して消えるという認識が成立しづらい。
これが「〜課長」とかつくといきなり空気になるのが面白いところで、
直属の上司は家族のように扱うという文化がそうさせるのかな? 反例ですが。

324 名前: 新聞社勤務(石川県) 投稿日: 2007/03/23(金) 18:51:11.02 ID:RYuEyLI20
>>313についてだが……
『視点は二つが限界』の視点ってのが何を指すのかkwsk。
地の文についてなら、視点を混同した時点でアウト。視点は一つからしか書けない。
話者の持つ視点についてなら、確かに一度に表せるのは二つが限界だと思う。


>で、一つの場面(一、二と、章の中で区切れる塊)の中では一組の会話をするのが限度だと思う。
限度ではないと思うのです。

登場人物『A』『B』『C』がいたとして、例えばお茶を飲みつつ会話をしているとする。
まず、『A』と『B』が主に会話をし、『C』は時々確認のための質問をするだけ。
(あんまり事情を知らない登場人物の質問って、結構便利だよNE!)
次に、何らかの方法で話題転換。
『B』と『C』が主に会話。『A』が質問役にまわるとか、例えばお湯を沸かしてくるとかクッキーを取ってくるとかする。
……という方法なら、場面転換――演劇でいう暗転はする必要がないと思う。
無論、場の雰囲気としては変わっているものの、明転とすらいえない程度かと。

会話そのものについては、3人を主役にして喋らせるのはキツイ……
325 名前: 受付(神奈川県) [sage] 投稿日: 2007/03/23(金) 19:08:22.05 ID:vW7POXBX0
>>324
曖昧だったね。ごめそ。ってまぁ、無理に定義できるかというと難しいので書き換えたほうがいいかもね。
AとBの会話については、写実的に描写できるはずなので問題ないと思う。
AとBが何かを会話してる、という表現で何か一つの話題を続けているわけで、これが視点1。

AとBの会話「に対してメタな視点」を提供するのが地の文の視点。
Aの一人称、あるいはBの一人称、作者の一人称(これは危険)、三人称。ここらへんかな。
この二つ以上を提供することは諦めたほうがいいということを言いたかった。

>限度ではないと思うのです。

この後ろの例文にでる構造が、読者にとってかなり負担になるよっていう話ですの。
AとBが限界かなー。
Cはメイドにして、地の文を一人称にしてメイドの心象を書くとかまで踏み込んでいいかも?
っていうことをいいたかった。
あと、時々確認のために質問するため「だけ」にCを登場させるのはあまり意味がないかな。
Aに対してBが確認すれば良いだけだし。三人組の漫才師ってあんまりいないでしょ。
また、話題転換をした時点で場面が転換している、と読んでいただけたら。

三人目が登場できるのは、挿絵つきラノベか、読者が登場人物の造形を終えている続き物の二巻以降。
しかもキャラが口癖で立てられている場合。この場合は負担が少ないし、三人いるほうが読者も喜ぶ場合もあるとおもう。
重ねて言うけど二次創作などでキャラ立ての必要がない場合は、そんなに気にしないでいいと思うよ。
326 名前: 養蜂業(兵庫県) 投稿日: 2007/03/23(金) 19:17:02.23 ID:4+WArJST0
>>325
地の文をCにして、心情を書く、だとそれって結果的に
Cに主眼を、つまり主人公にした作品じゃないと無理くさくない?
>>324の言っていることもわかるし、おまいさんが言ってることも
分かるから、ケースバイケースってことじゃね?
329 名前: 受付(神奈川県) [sage] 投稿日: 2007/03/23(金) 19:24:32.50 ID:vW7POXBX0
>>326
まったくそのとおり(ケースバイケース)なんで。

登場人物プライオリティの調整ができる。
プライオリティを調整する理由と、プライオリティの調整の手法の一つ。

という話がしたかったので、
前提として定義した状況がユルかったのは許して頂戴。
「そのケースはどれほど難しいのか?」という話が出来ているなら満足ですお。

345 名前: 受付(神奈川県) [sage] 投稿日: 2007/03/23(金) 22:54:19.02 ID:vW7POXBX0
ん〜、これを抑えてないと話にならないよ、と受け取られてしまうわなーやっぱ。

書き進められなかったり文章に違和感を感じたとき、
なにかを考える指針になるものをあげられたらなと思ったんだよね。

批評要望のある作品を読んで、冗長と感じたときは書き直してみることがあるんだけど、
自分が漢字と平仮名の比率をどう見ているか、とかを書いてみたかったわけです。
名前とかの話は…読者が文章をどう楽しむのか推理するときの手がかりとして、かな。

話題としてイーッてなってしまうのは人情かなと思う。すまぬ。
出過ぎた言い草かもしれないけど、「まとめサイトみて書き直せハゲ」みたいな言い方よりは、
「本当に困ってるならまとめサイトみてみそ」みたいな言い方で紹介していただけたら嬉しいんじゃよ。
本当に役に立ったなら嬉しく思います。

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