わたしにとって幸せというものは噛みしめるものではなく舌先でつついて輪郭を確か めながらおそるおそる舐めとるようなものだった。わたしはいま心地よく揺れる夕方の 地下鉄のシートに座り神戸ベーカリーのメロンパンを頬張っている。その片手間にケー タイで日記を書いている。わたしの目の前で吊り輪にぶらさがる男がなんて行儀の悪い 女なんだろうと見下すような視線を感じる。おおかたわたしと同じように行儀が悪くて みっともない友人と鼻で笑われるようなメールをやり取りしているとこの男は思ってい るだろう。こんなふうに目の前で自分のことを記録されているなんてこの男は想像もし ないだろう。このままこの男について悪態を書き連ねてしまおうと思うけど、そんなこ とよりいまは歯と歯の間にはさまったパンくずが気になって仕方ない。きっちりと唇は 閉じているけれど、わたしが舌を歯の表に伸ばして掃除をしていることは当然この男に ばれていると思うし、この男は追い討ちをかけるようにわたしを軽蔑しているに違いな い。けれどそのおかげでこの男がこれ以上わたしによって貶められずにいることも、こ の男は知らないのだろう。これはわたしにとってたぶんひとつの真実なんだろうと思う。 わたしを見下すこの男も、きっとどこかで歯と歯の間にはさまったパンくずを舌でつつ いて、そうしている間は(これはわたしの想像だが)勤務時間外に上司にどなられた嫌 な気分も、歯と歯の間にはさまったパンくずによって、彼の萎縮した心臓は救われるだ ろうと思う。ただ悲しいのは、もっと確実なことについて、むしゃむしゃパンを噛みな がら叱れる部下なんてそうはいないことだ。それについてはわたしは謝罪と感謝をした いと思う。いまわたしは恵まれている。大好きなパンを食べながら好き勝手に日記を書 いて誰にも邪魔されずにゆっくりとパンくずも処理できる。次の駅でわたしが下車する までには、さんざんなめまわした自分の歯の輪郭を間違いなく覚えていることだろう。 いまだ男の視線が張りついてる。わたしには関係のないことだけれど。  わたしが幸せについてそのような消極的な考えるをするようになったのは、いつごろ かは忘れたけれど、というかまあ、小さなからそういう考えだったのかな。わたしは冗 談がわからない。あと、お世辞とか、社交辞令とか、そういうの。他人の言葉を言葉通 りに受け取ってしまうタイプだった。裏が読めない自分の性格を悟ったのは中学生の頃 からだと思うから、さっきの昔からってのは訂正して中学からってことにしておく。騙 されることも多かった。相手に騙すつもりはなくても、あとで傷つくことも多かった。 他人の本音を疑い始めるとどうにもならなくなってしまう。お世辞通りにこころよくそ のまま受け取おうとしても、相手が陰でわたしをバカにしていると思うと、それもまま ならなかった。本当か嘘かを入念に吟味して、返す言葉を探した。そのしばしの間の沈 黙に、相手は気味を悪くする。わたしは泣きなくなった。次第にわたしが無口になって いくと、わたしの周りからひとは減っていった。半分平和だった。半分、さみしかった。 わたしはひとりぼっちだった。ひとつひとつの幸せの原石のようなもの、受け取り次第 で確かに幸せになれそうなものが、いくつもわたしの周りに散らばっていることは、知 っている。けれど、もう、わたしは騙されたくなかった。 「ねえ」とわたしを大きな影で覆う男は言った。「俺、そのパン作ってるんだよ」驚い て顔をあげると、男はやさしく微笑んでいた。「おいしそうに食べてくれて、ありがと う」 駅に到着するアナウンスが流れる。男は慌ててバッグから神戸ベーカリーの紙袋を取り 出した。 「これ、あげるよ。今日の晩ご飯だったんだけれど、君に」  一言も発せずだらしなく口をあけてぽかんとしていたわたしにその袋を押し付けて、 男は逃げるように電車を降りていった。わたしは態勢を直して甘い香りが詰まった袋を 抱きとめた。呆然となにが起こったのかわからないうちにドアが閉まってしまった。電 車が動き出すとわたしは自然に袋を開けて、最初に目についたメロンパンを取り出した。 いま、わたしはこのパンを噛みしめ、じっくりと味わっている。