「彼は君みたいに穢れてないよ純粋な恋だよ」 「……純粋な恋って何さ? 恋愛なんて子作りのカモフラージュか小説家の飯の種だろ」  これが昨日の俺と友人のメールの会話の一部。前者が友人、後者が俺。うわ、俺って偏屈してるぅ。  でもだ、今ぼんやり風呂の中で考えてたんだけどさ、あいつ、というより、偏屈してない自称まっすぐな人たちの言う純愛って、セックス目的じゃないオツキアイってことなのか? いや、まあ確かにセックスだけが目的ならそれは恋人とは言わずにセフレっていうよな。じゃあセックスが目的じゃない恋愛ってどんなものかを考えてみると、いわゆる玉の輿ってやつが思いつく。他にもあるだろ、って突っ込みは今は無視だ。俺は偏屈してるからこれが真っ先に思いついただけで、他のもちゃんと後で考えるよ。  だけど、ありゃー、玉の輿、つまりカネ目的でのオツキアイは純愛じゃないって風潮があるみたいだ。いや、俺もこれは純愛じゃないとは思ってたけど。そもそも純愛って「純粋な愛」って書くよな。何だコレ? まじりっけなし百パー天然果汁って表示よりも数十倍嘘くせえ。あれって百パー百パー言いながら香料入ってんだよな。「果汁に関してだけは、百パーセントです」って意味か? でもそれってマジの百パー言わなくない? まあいいけどよ。  うーん、つまり「愛ってなにさ?」って話になるのか。ギャ○ン的にはためらわないことらしいけど、まあそれはどうでもいいや。さて、ここでなにが問題かっていうと、「セックス」とか「カネ」とかってもんが交際の目的に入るとアウトらしい。……しかしなあ。カネはともかくセックスは場合によっては愛ってやつに絡むからややこしい。ほら、セックスが愛情表現って場合だ。「あなたのためにお弁当作ってあげました」「あなたのためにマフラー編んであげました」ってな感じで「私の(貴重な)時間を、あなたにこれだけ割くことができます。つまりこれだけ愛しているんです」っていうのなら、愛情表現って言葉の意味はわからんでもない。文字通り、自分にはデメリットになることをあえてすることで愛情ってものを時間的な、もしくは物質的なものに置き換えてその大きさを表現するわけだ。弁当なら「お弁当を作るために要した時間」、マフラーなら「マフラーを編むのに要した時間」。どっちも愛情込めてって言葉がしっくり来るのは、原材料以外に愛情って意味の苦労があるからだろうな。でも、セックスはどうだ? 使う時間はほぼ必ず相手と同じ時間を使う。うまくいけば二人とも快楽に浸れる。で、「コレが愛情表現なんです」なんていいやがる。あらあらおかしくねえ? セックス目的で付き合ったら不純って言われるのに、お互い求め合ったらその時点で純愛的愛情表現に早変わり、ってか。うーん、基準の問題なのか、それともみんな心の底では早くセックスしたいのに自分から求めるなんてはしたないって考えてるから表面上否定してるだけなのか。まあ多分後者だろうね。おっと、否定される前に言っておこう。おそらくこの考えは、人の深層心理に近いものに由来するんだろう。周りの環境がそういう雰囲気だからって自分でも心の中で否定し続けて、いつしか本当に嫌悪するようになったって感じだ。  「私に無いものを与えてくれる彼が好き」って台詞は純愛の場面ではよく使われる。いや、まあ男と女の物理的な凹凸は考えないでね。そういう意味じゃないよ。うん、この台詞は直感的な意味以上に愛情って感情の本質を突いてるんじゃないかなと思う。 さっきのセックスによる愛情表現だと、非常に本能的で、理性的な愛情ってモノの説明にはならないことはわかると思う。いや、本能的な愛情ってそのまんま動物のセックスと子作りの関係になるけど、どうもこれを純愛とは世間的には言わないみたいだからさ。  たとえばの話。とっても寂しがりやな女の子がいたとする。寂しがりやってことは、事実はどうであれ、他の人より人との触れ合いって奴が不足するってことだ。さて、そんな彼女に彼氏ができました。とっても面倒見がよくてやさしくて、いつも彼女のことを気にかけてくれます。このとき、「人との触れ合いが不足している」彼女に「充分に触れ合ってあげる」彼氏というカップルは、簡単に言っちまえばぴったり嵌るパズルみたいなもんになる。じゃあこうまでぴったり嵌ったパズルはどうなるか。言うまでも無い。愛情っていう摩擦力で離れにくくなる。う、自分で言ってて恥ずかしくなってきた。けどまあ、コレが相性ってもので、この事実を表現したのがあの台詞ってわけだ。ちなみに動物界では、メスの場合優秀なオスからは優秀な子孫が出来るって発想がこの摩擦力になる。オスの場合は、まあ性欲は可愛い子の方が大いに沸くわけで、ねえ?  そもそも人間は完璧を求める動物だ。完璧な環境、完璧な生活、完璧な彼氏、完璧な子供、完璧な道具……。普通ここまで完璧ってものを求める動物はいない。そういう意味では、人ってものの哲学的な定義に付け加えてもいいぐらいだ。だから、自分に足りないものを他に求める。これがおそらく恋愛感情。このパズル理論のどこが面白いかって、これで浮気の説明にもなっちゃうんだよね。ほら、今の女じゃ物足りないっていうじゃん。文字どうりそういうこと。まあ、独占欲はまた別の論理が絡むけど。  つまるところ、純愛ってのは自分に無いものを相手に求め、代わりに相手に無いものを自分が与えるって関係のことになるのかな。で、互いに弱さを共有しあって愛し合って、なら今度は快楽だ。相手を喜ばせることで愛情表現にしよう、自分も喜べるしいいやってか。ああ、なんか具体的に検証すると夢も希望もない話だ。やってらんね。