――その中心にあるものは――  店の入り口に立つもドアは開かなかった。はて、センサの故障だろうか。少し考え見回し、細かいヘアラインの入った仕上げの悪い鈍色のドアに穿たれた把手を見つけた。手をかけて横にスライドさせると、砂をすりつぶすような音と振動を伴って力なく開いた。冗談のように分厚いドアだった。  この安普請だとグレードの高いオイルは望めそうもないな。とヴァーティゴは憂鬱を思考に走らせる。街からずいぶんと遠く、誰かが気まぐれに砂漠に落っことしたコンクリートと金属の塊みたいな建造物の残骸に埋もれた店は、役目を終えた衛星のように孤立していたし、インフォメーションを発信していなければ周りの瓦礫のお仲間だと思われて仕方ないほどに砂化粧がお似合いだった。そのインフォメーションにしたって、簡単な店の説明しかなく、商品の照会もできないときた。万全を期すという言葉が砂丘の向こうに飛んでいってしまったようだ。 「やあ、いらっしゃい」  小型輸送機のペイロードベイなみに狭い、廊下のような店内には店主らしき者が一人いて、コンクリートの壁にはいくつかのハッチがある。灰色の空間を、天井の照明がうっすらと照らしていた。 「トリチウムパックを呉れ。それと一番グレードの高い極圧グリースのチューブ一つ。あとフリクションの少ないオイル二缶。ホバーに使うんだ」  自分の手首の間接の動きを確認するように、店主は顔の前でぷらぷら手を振り。勘弁してくれといわんばかりの態度で言う。 「ないよないよ。あんたのお眼鏡に適うような品は置いてないよ。みんなメルビルどもがもっていっちまったよ。……あんたもメルビルだろう? ここに来るのはメルビルか盗賊か魚だけだ」  ヴァーティゴは思考の綱に鉛を乗せられたような気分になった。「とりあえず残ってる品のリストを見せてくれ」と店主に頼みリストを表示してもらった。  品の数は多かった。しかしどれもグレードの低い二級三級の安物。しかも劣化確実のビンテージ品ばかり。リストを最後まで見終わる前に間接がさび付いていくように思えた。 「これだけか?」 「それだけだよ」店主は言う。「この時期になると必ずメルビルがやってくるんだ。そしてみんなが口をそろえて言う『一番いいオイル』ってね。しばらくして、行軍が過ぎ去ったころにノース・カウンティへ行ってみれば、転がってるのはくず鉄になったメルビルとそのお供さ。全部、そうだ。砂漠にオイルを垂れ流してるようなもんだ。こちとら魚を相手にヒイヒイいってるってのに、ヤツらはみんな持っていっちまう。すべからく無駄にしちまう。カンベンしてほしいよ」 「そんなにしんどいなら」ヴァーティゴはリストを閉じた。「そんなにしんどいならなんでここから出て行かないんだ? 街のほうに新しい店を構えればいいじゃないか。わざわざこんなところに――メルビルと盗賊と魚しかこないここにいるよりずっとマシだろう」 「ああそうさ。とっととこんなところオサラバしたいね。その年の売り上げはほとんど魚に持っていかれちまうし、最近は仕入れも辛くなってきたし」店主は壁のハッチを開き、そこからトリチウムパックをひとつ取り出した。「だがね――フィーリングが邪魔をするのさ。ここにやってくるメルビルが、真理なんて馬鹿げた妄想にそそのかされた阿呆どもが哀れで仕方ない。そうフィーリングが囁くのさ。――いいか、これは忠告じゃない。警告でも訓告でもない。これは予報なんだ。気温が五〇度まで上がるとか砂嵐が来るとかオイルが劣化するとかいうのと同じように。額実に魚はやってきて確実にみんな壊されちまうんだ。だから、哀れなメルビルよ。疾く、疾く、立ち去れ。魚の数は砂粒の数。勝てるはずがない」  そういってパックをヴァーティゴの前に突き出し「二〇にまけてやるよ。街まで戻りな」と店主。 「その街で聞いたんだがな。ノース・カウンティの近くにいい油屋があるって」  パックを受け取って、ヴァーティゴはバックパックからマネーを取りだす。  これまで千を下らぬメルビルが万策をもって望めど、いまだ真理へと到達した者はいない。セントルイスに近づく前にみんな魚に食われるからだ。ヴァーティゴももちろんその危険性を知っていた。たとえ成功の確率が九割を超えようとも、失敗の危険性は決してゼロにはならない。  千の策を講じ、万一の事態に備え、たった一つの体を投じ、目指すものは有無も不確かな〈真理〉唯一つ。  いつ、どこで発生したかは分からない。そういう原型≠ェいたのか、はたまたフィーリングにそそのかされた者が編んだ狂気か。その情報――ミームはコミュニケーションを介して拡大していった。一人、また一人と真理を目指すものが現れ。街を渡り、話を広めていった。そしていつのころからか、彼らは自分たちのことを〈メルビル〉と呼ぶようになった。理由は分からない。だが、その名には確かな意味がある。そう彼らのフィーリングが囁いていた。  ヴァーティゴもメルビルの一人だ、そして誰よりも真理に近い――彼がすべてを信じるのなら――者でもある。しかし彼は今、諦めたほうがよさそうだと考え始めていた。いくら勝算があれど用意は周到に尽くすべきだ。 「準備はしすぎるってことは無いが、備えなしで魚の群れに――」  ゴリ、と背後のドアが動く音がした。 「――魚!」  ヴァーティゴの背後にソレを見た店主は叫ぶやいなや身を翻し、驚愕を背負って店の奥へと逃げ込む。  振り向くと、ドアの隙間から錆色をした六角形の頭が見えた。空中に浮かぶ六角柱は、木の虚から顔を出す小動物のように、控えめな態度でこちらを窺っていた。 「ああ、大丈夫。アイツは俺の――」と向き店主がいる店の奥へと向き直ったヴァーティゴだが、「ぉうあっ!」  天井から展開したガトリング砲が、六つの円らな瞳をこちらに向けていた。  ヴァーティゴは驚きを確かめるまもなく、床にたたきつけるように頭を下げた。  瞬間、油圧によってスピンアップした銃身が弾丸を吐き出した。入り口のドアが火花を散らす。 「まて! 待ってくれ!」  降り注ぐ薬莢の音がカチカチと頭に響くのを感じながら、ヴァーティゴは床を這う。ガトリングが射撃をやめた刹那、今度は外から数発の破裂音が響く。また回りだそうとした砲身の付け根が弾け、間接をはずされたように銃口がガクリと床を指し、止まりきれなかった数発の弾丸がコンクリートを削った。  さらに壁が割れ、マシンガンが顔を覗かせる。壁際の床からはマグネティックシールドがせり出してくる。店は完全に戦闘態勢に入っていた。なるほど、あのドアの分厚さは防御のためらしい。あのくらいの厚さならば携行兵器ていどの火力ならなんとか防げるだろう。  しかし、今はそんなことより――。  ヴァーティゴは外に向かってコマンドを飛ばすが、数瞬遅かった。また店内に弾丸が打ち込まれた。二つのシールドが作動し、瞬間的に強力な磁力線に捻じ曲げられた弾丸がほぼ垂直に逸れて壁を乱打する。マシンガンがそれに応戦。空気が発砲の衝撃波に震える。 「止めてくれ! 違うんだ!」  ヴァーティゴは叫ぶが、答えるのは銃弾の応酬である。 「やめろ! アイツは俺の相棒なんだ!」  その言葉をトリガにして、騒乱に静寂が打ち込まれた。 「――なんだて?」と奥から店主。 「あの魚は俺の相棒なんだよ!」  数秒、言葉を忘れて停止する店主とヴァーティゴをよそに、レールガンを打ち込まれたらしいマグネティックシールドが金属片を撒き散らして機能停止。  砂塵と弾痕で粉飾した店内はクローズドの看板を掛ける必要はなさそうに見えた。被害は甚大。修理費なんぞ計算もしたくない。このまま死んだふりでもしようかとヴァーティゴは本気で思っていた。なにもするなってコマンド送ったのになあ。っていうか今のレールガンは明らかに恣意的なものだよな。 「――大丈夫ですか、マスター? お怪我はありませんかー?」  出鱈目なエンボス加工を施されたドアの隙間から軽い調子の声が響いた。大丈夫であろうが無かろうが、どうでもいいといった感じにも聞こえる。 「頼むぜ相棒。外で待機してろって言ったろう。誰が店を穴だらけにしろって言った?」 「正当防衛ですよう。先に撃ったのはそちらの方ですもん」  またもやひょっこりと現れた魚。店の主人は今度こそひるまなかった。安全を確認すると隠れていた場所――どうやらハッチがあったらしい――から這い出て、威圧的な足取りでヴァーティゴに詰め寄り、 「相棒? 魚が相棒だと?」荒い声で言う。「ここじゃ魚といったら的にするかされるかだ! オイなんだこりゃあ! 俺の店はシューティングレンジじゃねえんだぞ!」  喚きたてる店主は相当お冠のようだ。ヴァーティゴは少々怯みつつも、さてどうやって誤魔化したものかと演算を始める。 「いや、まあ、なんていうか――ほら、不可抗力?」  店主はさながら早回しのレコードのように恨み言をつらつらと吐き続け、ヴァーティゴのフィーリングをジリジリとすり減らす。  しばらくその様子を傍観していた魚は遠慮がちに店の中に頭を突っ込み、 「あのぅ」綽然とした様子で言った。「こんな状況で言うのも追い込むようでアレなんですが……セントルイスが来ましたよ?」  その言葉に硬直した二人の間の空気が更張し、その上に静かな焦りが降り注ぐ。 「距離はどのくらいだ」ヴァーティゴが訊ねた。 「もう半径三〇〇キロ圏内に入っています。この進路と速度だと最接近まで約八〇分ほどでしょう。思ったより早かったですねえ」  二つの個を結びつけ足並みをそろえさせるのに、共通の災厄は大いに役立った。  くだらないいざこざは砂に埋めて、災厄がまだ遠いうちに決断をしなければならない。  自分たちが砂に埋められる前に。  ***  そのモジュールは〈フィーリング〉と呼ばれていた。  はるか昔に、一体のロボットにフィーリングの種が撒かれた。ソレは創造主の〈こころ〉をまねて作られたものだという。  そしてこの惑星に放り込まれたろロボットは創造主の教えに従い自らの仲間を増やした。さまざまな姿をしたロボットが生まれ、その過程でフィーリングの種は徐々に育っていった。  センサが得た環境情報や、それを基にした演算の結果。フィーリングはそれらのデータを編みこんで新しい思考を次々に生み出すようにできていた。最初はバグのようなデータ群の対処に戸惑ったが、それも慣れ≠ニいうフィーリングによってやり過ごす方法を覚え、状況に応じてフィーリングを押さえ込んだり身を委ねたりするということも覚えた。  惑星を開発しながら、ロボットは緩やかに数を増やしていった。  彼らに存在の意義や目的といったものなど在りはしなかった。創造主の教えに従うということ意外に、彼らという存在を肯定するものは無い。 「あのホバー、気に入ってたんだけどな」  ヴァーティゴは内に生じた残懐を引きずりながら、眼下を流れる赤茶けた砂漠を眺める。 「しょうがないでしょう。結果的には得るもののほうが大きかったわけですし、良しとしましょうよ」 「冗談はよしてくれ。元凶たるお前にそんなことを言う権限があるのかよ?」  事態は逼迫していた。先ほど不測の戦闘によって強制的に閉店させられた油屋の店主は、店と同時にセントルイスの行軍を凌ぐための盾を失った。  早急に街まで逃げるか、腹を据えて居残るか。  二人の意見はすぐにまとまった。いくら地下シェルターがあるといっても防衛機構が無いというのは心細すぎる。ヴァーティゴはボバーを店主に与え、その代わり店の商品を好きにしていいといわれた。トリチウムパックも地下に隠してあった良いオイルも、盗賊に盗られるくらいなら呉れてやる。そう言って店主は街へと走り去っていった。ホバーを売れば少しは足しになるだろう。 「マスター。セントルイスがホーネットを放出しました。どうやらこちらに気付いたみたいです。レーダの照射を受けてます。IFFコールだ。懐かしいなあ」  ヴァーティゴの目の分解能では、セントルイスはまだ小さな灰色の石ころのように見える。石ころの周り、砂粒よりも細かく、エアロゾルのように広がるものがあった。魚と呼ばれる自律型の制圧兵器。本来はホーネットという名称を持っているのだが、それを知る者はヴァーティゴのみだった。  そして、それこそがヴァーティゴが持つ唯一の勝算であり、メルビルになったきっかけだ。  ワイヤでヴァーティゴを懸架し、低空を飛行するホーネット。パーソナルネームをシリカといった。  ヴァーティゴはつい最近――といっても五年以上前だが――まで採掘場の監督を勤めていた。ところがある日、採掘地を拡大しようと地質調査に出かけたところ地表から五メートルほどの深さに埋まっているをシリカ発掘してしまう。当時はまだメルビルはおろか真理という言葉すら知らなかったヴァーティゴは「暇つぶしにでもなるだろう」と、偶然手に入れた珍奇な機械を修理することにした。  幸い損傷の度合いは軽かった。知り合いのエンジニアに教えを請いながら半年を費やして、ようやく機能を回復した六角柱が最初に発した言葉は―― 『私は国連宇宙軍所属のシリカと申します。メルビルはどこでしょうか? 一緒にいたはずなんですが……』  ヴァーティゴより二周りほど大きい錆色の六角柱は、どうやら仲間とはぐれてしまったらしかった。  ちょうど今の仕事《ボーリング》にも飽きを《ボーリング》感じていたヴァーティゴは「それなら一緒にメルビルとやらを探そうじゃないか」と現場の監督を仲間に任せ旅に出ることにした。  メルビルはすぐに見つかった。  しかしシリカは違うと言う。  本物のメルビルは〈人間〉だ、とシリカは言うのだ。  そして今、ヴァーティゴはシリカがホームと呼ぶセントルイスに接近しつつあった。  セントルイスは兵隊であり盾であるホーネットの群れを身に纏わせ、敵性と判断したすべてのものに破壊を振りまきながら大陸を巡航する、超弩級戦艦だった。世界各地に残る戦渦の余波。それは名目上の終戦を迎えてから五百年の歳月を経た今もなお、終焉にたどり着いていない。 「あれ? おかしいなあ。応答が無い」シリカが訝しげに言った。「もしかして軍籍抹消されちゃったのかなあ。内勤だっていっても一応MIA扱いになってるはず――」  雲行きが怪しくなってきた。シリカは自分のホームなのだから大丈夫だといっていたが、いかんせん五百年も前の話だ。再会を懐かしむにはブランクが長すぎる。 「ロックされた! パターンが合わない!」  ほらみたことか。 「マスター、ちょっと激しく飛びますよ。私はプロトコルの解析をしますから、戦闘になったら応戦のほうお願いします」 「ヤバくなった逃げるぞ」 「もう逃げられませんよ」  狐が跳躍するように、一気に高空へ舞い上がる。強大なGがヴァーティゴの体を軋ませた。十分に高度をとった後、シリカの側面が劈開し、格納されていたモジュールが展開する。差し出されたガトリング砲を手に持ち、有線でシリカの火器管制システム《FCS》をロードする。 「いいのか? お前の仲間だろう?」意地悪く、ヴァーティゴが訊ねた。 「そうですね。味方を撃ち落とすなんてことは絶対に許されません。でもマスター、あなたのせいですよ? あなたが私にフィーリングなんて厄介なものを埋め込んだのがいけないのです。私は今、多少の犠牲をもやむをえないと思っているのです。私の階級や役割と、彼等のそれを天秤にかけてしまっているのです。ああ! 忌々しいフィーリング!」  セントルイスのディテールが徐々にはっきりしてくる。全長二〇〇〇メートルにも及ぶ灰色の巨艦。周辺には無数のホーネットが舞い、その様子は昔ライブラリで見た魚の群れのようだった。なるほど魚とは巧く言ったものだ、とヴァーティゴは思う。 「できるだけ撃たないでください。今、群知能ネットワークに割り込みをかけてますから。上手くいけば乗っ取れるかもしれません」 「お前を信じるよ」ヴァーティゴは全身の筋の収縮率を上げ、劣化覚悟で硬化させる。「そういう気分だ」  そして、衝撃。固体になったような空気が体にぶつかる。感覚の上限をはるかに超える力を受けて、神経処理回路がフィルムのコマを落としたように断絶する。攻撃を受けているのだろう。シリカは急激な回避機動をとり、見えない殺意をかわす。「手加減してくれ」とヴァーティゴは有線でシリカに伝えるが「ビジー」とだけ返事が返ってくる。また、世界が回る。視界にブラーがかかり、あらゆる方向からGが体当たりを仕掛けてくる。シリカとリンクを取らなければ自分がどんな姿勢なのかもわからない。全身の筋が急速に熱を帯びる。  シリカはセントルイスの防衛ラインの縁をなぞるように飛びながら、ホーネットの攻撃をかわし続ける。アクティヴステルスと電波妨害《ECM》を併用して攻撃の手をすり抜け、ホーネット間の相互リンクのプロトコルを解析し、ネットワークに侵入を試みる。防衛と回避に手一杯で攻撃に思考領域を割いている余裕は無い。  魚が、襲ってきた。シリカと同じ形をした灰色のホーネットが、二人の軌跡に喰らいつく。ヴァーティゴという荷物のせいで速度がでない。次々に追いついてくる小魚たちと鉄の言葉を交わす。シリカのFCSは高性能だったが、出鱈目な機動のおかげで極端に命中率が下がる。レーダーアラートの悲鳴。骨格を強酸で溶かされるようなフィーリング。  一機、また一機と群がるホーネットを蹴り落とす。別方向からレーダーロック。ほぼ同時にミサイルアラートが絶叫。セントルイスの高速ミサイルがまっすぐやってくる。  ミサイルは確実に二人を捉えていた。かく乱が効かない。ヴァーティゴが全身の筋を固めた刹那、シリカがコマのようにスピン。直撃は免れたが、近接信管が作動し爆発。高速の破片がヴァーティゴにいくつか突き刺さる。  断末魔のようなアラート。ミサイル更に二つ。回避は絶望的。  着弾まで五……三、二、一――、  そして芸術的なスピン。ガトリングを保持していた腕の筋がいくつか断絶する。左の手首が千切れガトリングのバレルユニットと一緒に吹き飛んだ。左腕の神経系を一時的にカット。背骨を引き抜かれるような恐怖。  アラートが息を飲んだように止まった。  ミサイルはそのまま二人と交差し、地平線を目指して飛翔を続け、爆発した。 「やった!」シリカが狂喜する。「ネットワークに入れましたよ! どんなもんです。五百年ぽっちじゃ私のウデは衰えませんよ!」  ヴァーティゴは全身の強直を解き、神経回路の麻痺を除去した。待ってましたとばかりに全身が苦痛にむせぶ。骨格が耐久値以上の衝撃を受けたと苦情を喚き散らす。筋のちぎれた腕は許容出力が七〇パーセントを割ったと泣訴する。左腕は痛哭して無くなった手首から先を探している。 「腕といわず体中ボロボロだよ俺は……」  ヴァーティゴは真理などどうでもいい、といったふうに嘆息する。さて、リペアセンターはあるのだろうか。  二人はセントルイスの誘導を受け、その巨体に接近していった。  ***  艦内はステンレス鋼のように端正な静けさで満たされていた。  ホーネットの回収ドックに入った二人は、シリカの記憶を頼りに艦内を移動していた。所々に動物のものらしい白骨や、蟹を大きくしたようなガードロボットの残骸が散乱していた。 「ダメだ」シリカは落胆して言った。「艦内ネットワークに接続できません。無線接続がはじかれちゃう……有線じゃないとだめなのかなあ?」 「……酷いめまい《ヴァーティゴ》だ」  ヴァーティゴは先刻のクレイジー・ダンスで負った損傷をたっぷりと引きずっていた。全身のセンサが銘々に異常を主張し、自律・随意神経回路のキャリブレーションが取れないでいる。それらに反応したフィーリングが、頼んでもいないめまいをばら撒いていた。 「ここからだと第三メディカルセンターが近いですねえ。そこならリペアが可能ですよ。でもチューブが使えないから、徒歩で行くしかないです。あ、途中で第四指揮管制センターに寄っていいですか? ちょっと状況を調べたくて」 「第五だろうが第六だろうが、好きにしてくれ。もう二度と遊覧飛行をしなくていいってんなら、隣の惑星にだって歩いていけそうだ」  二人は薄暗い艦内を移動した。ホーネットの保管庫を橋上から眺め、軋む足を引きずって階段を上り、管のような通路をなぞる。二人の周りにある空気以外に動くものは無い。  シリカの案内で指揮管制センターらしき部屋にたどり着いた。やはり無人で、壁面を覆うモニタに作戦の状況やホーネット部隊の情報が映し出され、刻々と作業が進められている。 「やはり誰もいないか……でも作戦行動は継続されているし――」  ヴァーティゴは、誰もたどり着くことが願わなかった真理の革新に自分が近づいていることに、少なからずフィーリングの高揚を覚えたが、同時に落胆にも似た安堵も携えていた。  不可侵の真理を守る戦艦という、神秘の法衣を纏うセントルイスも、一見して旧世代の軍事遺産に過ぎない。荘厳なイコノグラフがあるでもなく、フィーリングをかき乱す儀式的な気配も無く。ただただありきたりだ。 「このパネルのハッチをあけて、ケーブルを接続してください」  シリカが伸ばしたケーブルを、言われたとおりパネルの接続部に差し込む。 「どうだ? 繋がったか」 「はい、ネットワークには接続できましたが、でも――」 「あら? ホーネットちゃんがなんでこんなところにいるのかな?」  唐突に、暢気だが硬質な声が響いた。  驚きにつられて見やった先、目の前のモニタに一人の〈人間〉が映し出されていた。 「わわっ」慌てた様子でケーブルを引き抜くシリカ。「認識番号、P51D―UCW22―618892D、パーソナルネームSILICAです。先ほど帰還しましたところ他の乗組員の姿が見受けられず艦内ネットワークにも無線接続できないため不審に――」  俄然かしこまった様子で、まくし立てるシリカ。人間――雌だ――はその言葉を最後まで余裕ある態度で聞くと、「そう」と頷き、僅かな思案の間をおいてから、口を開いた。 「無人騎兵隊――Dナンバってことは群隊長機ね。よく帰ってきた。実に五百年ぶりかしら」人間は感慨深げに言った。「で、そこにいるロボットは何?」 「私が機能停止に陥っていたところを回収し修復、ホームまで同伴をしていただきました。友好的な現地体です」  人間の目が、ミリ波レーダーのようにヴァ―ティゴの全身をすばやく撫でた。 「シリカを帰還させて下さったことに対して、私から礼をさせていただきます。ありがとう」  ヴァーティゴは少々戸惑った。何しろ人間と会話するのはこれが始めてだ。言語フォーマットも合っているか分からないし、どんな音域を使えばいいかも分からない。人間についてのデータは持っていたが、それが本当に正しいのか、有用たるものなのか、決めかねる。選定と決定の処理を、フィーリングがあやふやにしている。 「んん、いやなに、ちょうどいい暇つぶしになったよ」 「そう」人間は顔の表面を滑らかに動す。笑う≠ニいう動作だ。「現地体がよくここまでこられたものだわね。あら、少し故障してる。まだメディカルセンターに人工筋があるから、リペアしましょう。規格は合うかしら。――えーっと、シリカ?」 「はい」シリカはまるで別のロボットになってしまったように厳然とした返事を返す。 「現時刻をもって貴官の任を解除する。ネットワークに接続し、解除コードを確認せよ」 「はい」数秒間沈黙したのち、シリカは宣言する。「作戦第二〇五六号の指令解除コードを確認しました。準一種待機にはいります」 「よろしい、では現地体をメディカルセンターへ案内し、リペアしてあげなさい」 「はい。これより現地体をメディカルセンターへ案内し、リペアを試みます。――では、行きましょうか現地体」  普段の鉛のような柔らかさはどこへ行ったものか。タングステン合金のように固まりきった雰囲気のまま、移動を促すシリカにヴァーティゴは疑問を投げかける。 「まあまあ、ちょっとまてよ」 「何でしょうか?」 「この人間の雌がお前の探していたやつなのか?」  言うや否やモニタの人間が声を張る。 「ちょっと! 雌ってなによ雌って!」 「動物は、個体ごとを大まかに、雄と雌という生殖的な差で区別されるのだろう? 人間も動物だ。見たところ、あんたの外見は人間の雌のようだ。――ああ、間違えたのかな? 雄?」 「失礼ね。私は女よ、お・ん・な!」人間は腕組みして言う。「ロボットに雌なんて言われるとは心外だなあー。こんな姿になったって一応心はレディーなんですからね」  人間は激昂しているようだ、とヴァーティゴは声色から判断する。しかし、それと同時にこの状況を楽しんでいる、嬉々とした純朴なフィーリングによる情報が混在しているようにも思えた。 「ふむ、悪かった」そのくせヴァーティゴは悪びれたそぶりも無く言う。「では、人間のレディー。改めて質問しよう。俺の相棒――じゃなくて、あんたの部下であるシリカは、メルビルという人間を探しているそうだ。あんたがそのメルビルという人物か?」  しかし、人間はその問いに答え無かった。全身が硬化樹脂を頭からかぶったように動かなくなってしまった。モニタに映し出される姿はピクセルの一つも揺らぐことなく、その数秒間、完全に故障してしまったかのような沈黙の光だけを、ヴァーティゴに投げかけた。 「メルビル?」呟いてようやく人間は動き出し、「UCW22……シリカ」風が砂をさらうような声。 「はい、何でしょうか?」 「その……メルビルという人の認識番号は?」  低音のふらついた声は、今にもばらばらの音素に解れそうな脆さを有している。 「認識番号、S―23507210。グレン・メルビル中尉です。私の隊が護衛についていたのですが……すみません。αのB―52で襲撃を受けた時点で記憶が曖昧になっていて……おそらく群知能ネットワーク内に――」 「わかった」  人間が報告をするシリカを抑制するように。それ以上に自分の発声を必死に抑えるようにして人間は言った。 「わかった。報告ありがとう。行ってよし」  それに従ってシリカは指揮管制センターを後にする。だがヴァーティゴはひきつけられるように、モニタに映る人間を見ていた。先ほどの会話が、この状況が、読めない。言葉の裏に何か大きな、地底に眠る鉱脈のようなものが隠れている。そうフィーリングが囁いている。 「人間? 何か不具合でもあったのか?」 「アンナよ」人間は平面の世界に一人佇み頭を垂れ、「私にだって、名前はあるわ」  そう言い残して、画面から消えた。 「――はい、神経系の接続できました。麻酔を二段階引き下げますよー。どうです?」 「うん。なかなか調子がよさそうだ」 「慣れるまで大きな負荷をかけるのは控えてくださいね」   メディカルセンターでリペアの作業を終了するころには、シリカの態度はまた鉛板のように軟化していた。  散らかり放題だったメディカルセンターは、初見の乱雑さに比べて設備の損壊や備品の損失は少なく、ヴァーティゴに適合しそうな規格の人工筋もあった。作業は比較的スムースに流れ、さしたる問題もなく終了した。  診察台に横たわっていたヴァーティゴは上体を起こし、強制麻酔の所為で感度の落ちた腕や手首を動かす。修復した腕の筋は、元から使用している筋とは出力特性が若干違っていたが、許容範囲内だろう。一応、システムが十分に馴染むまで、ゆるい強制麻酔をかけていなければならない。 「ここにはあの人間しかいないのか?」診察台から降りたヴァーティゴが言った。 「ええ、そのようですね。今現在ここに――セントルイスの艦内にいる人間は、技術尉官のアンナ・スワンウィック大尉しかいないようです」 「ふむ。他の乗組員はどうしたんだ?」  ヴァーティゴはここでようやく一番の疑問を口にすることができた。これだけ巨大な戦艦を運用するためには少なくとも数百単位で人間が必要になるだろうことは明白だったが、今この巨艦はまったくの――アンナという例外を除いて――無人で動いている。 「五百年前のことです。戦争も終局を迎えつつあり、敵が我々の残存勢力を目標に掃討作戦を開始しはじめたのです。このセントルイスは電撃的な攻撃を受け、乗組員のほとんどを退艦させなければならなくなったのです。その際、私たちのような自律兵器は脱出艇の支援を担当したのですが、執拗な敵の追撃部隊に追われて散り散りになり状況続行不可能――とどのつまり作戦を完遂することはできなかったのです。私や私の部下の犠牲で、乗組員たちが無事にこの星から退却できたのならよいのですが、それを確認することも叶わず。……ああ情けなや、私は五百年も地面の下に埋葬されてしまっていたのです――ってこの話、前にもしませんでした?」 「いや、前半のほうは初耳だよ相棒――っとすまない、もう相棒じゃねえやな」 「いいですよ。私は元来ただの兵器ですから。立場的には、あなたより下ですよ。それにあなたは私を修復し、旅路を共にした仲ではありませんか、マスター」  よくもまあ、この程度の相互理解でここまでくることができたものだ、とヴァーティゴは改めて考えた。そういえばシリカが持ち得る情報――パーソナリティやアイデンティティ、その他の経歴といったものを本質的に理解する、しようとすることなどこれまで幾度も無かった。今でもシリカについてはほとんど不明≠ニいっていいほどの理解度だ。それなのにいつしか二人はお互いを『マスター』『相棒』と呼びお互いを単なる『他』として以上の、複雑な認識を伴ってコミニュケートしてきたように思う。  それはやはり、フィーリングの所為なのだろうか?  フィーリングという曖昧模糊としたものがそのような高度な機能を有しているのだろうか?  リペアが終わったら先ほどの指揮管制センターに戻るように、と二人はアンナに言われていた。  まだ麻酔が効いているが、体はかなり調子が良くなった。さてお次はアンナとのトークである。問題について慧解を得るか、瓦解に終わるかはお喋り次第。なんとも、人間のコミュニケーション手段とはチープで頼りないものだ。そう思い、ヴァーティゴは心中に嘆息した。  指揮管制センターに戻るとアンナの姿がモニタに表示された。 「やあ、人間のレディ」  恭しく礼をするヴァーティゴ。 「あなた」先ほどとは打って変わって砕けた雰囲気だ。「私のことからかってない? アンナだって言ったでしょう。ちゃんと名前があるのよ」 「だって、あんたは自分で『私はレディーだー!』って主張してたじゃないか」器用にアンナの声を真似ておどける。 「うっわ、こいつムカツク……」  低い声を漏らし目の前の生意気なロボットをにらみつけるアンナ。このまま数分待てば目から高出力レーザーでも出しかねない圧力を伴った視線である。 「まあまあ、大尉。落ち着いてください。この現地体は悪気は無いのです」――たぶん。とは言葉にせずアンナを抑える。 「ふん……まあいいわ」明らかに機嫌を損ねた様子である。「話をするまえに、言っておきたいことがあるの、シリカ」 「はい、何でしょうか」 「私は大尉じゃないわ」 「はぁ……? あのうー、それはどういった意味でしょか。データベースには正式な書式で大尉と記されて――」  と困惑するシリカに声をかぶせるようにして、アンナは言った。 「ついでに言えば、私は人間でもないの。私はとうの昔、五百年前に死んでるの」 「え? 死んでるってことは、その……今のスワンウィック大尉は」 「そう――私はこの艦のコンピュータ上で稼動するアンナの情報体≠諱B私の魂と肉体はもう朽ち果てて、そこらへんに転がっている骨と同じようになってるわ。軍のデータベースにある私の個人情報欄にはキッチリと戦死《KIA》って記入されているはずよ」  その科白を補足するようにヴァーティゴが発言する。 「要するに、あんたは人間のアンナ・スワンウィックのソフトコピーなんだな。ゆえにニセモノのあんたは大尉という肩書を持ち合わせていない。このセントルイスには、真の意味で人間はいない≠けだ」  アンナはゆっくりと、しかし確かな重みを感じさせる動作で頷き、肯定する。 「なんかそのいいかたムカツクけど、そうね。厳密に言えば、私はニセモノよ。……最後の最後、総員退艦命令が出たとき。システムエンジニアの私はセントルイスのセントラルコンピュータに潜っていたの。敵が艦内ネットワークに侵入していたから、何とかそれを食い止めよう、皆が逃げるだけの時間稼ぎをしようとしていた。だけどそれは、大河に石を投げ込んで塞き止めようとするようなものだったわ。防壁は構築してもすぐに崩され、データは次々に食い荒らされて、人柱も効かず。補修も防御もままならぬうちにセントラルコンピュータは汚染されたわ。ログアウトする間もなく、私の視床下部に構築された神経デバイスにとんでもない流量の情報が流れ込んで、心臓はショックで痙攣を起こし、耐え切れなくなった神経が焼ききれて、そこで本物の私は死んだの」 「それはそれはご愁傷様」ヴァーティゴは軽い調子で言った。「だが俺たちにとって大事なのはその後の話だ。なぜ戦争が終わってから五百年もたっているのに、この戦艦はいまだ稼動し、世界に破壊を振り撒き続けているのか。そして、死んだはずのアンナ・スワンウィックがなぜコンピュータ上で再現されているのか」  投げかけられた疑問を受け止めたアンナは、笑みに近い表情を表した。近い、というのはそ子に含まれる要素が笑み≠ニいうものだけでなく、ほかの表情パターンが絶妙にブレンドされているようでもあったからだ。  ヴァーティゴがそのパターンをどう類型化したものかと、余計な思考を――これもフィーリングのせいである――走らせていると、 「……わかった。話してあげる。でも、その前にちょっとお願いがあるんだけど」  ようやく肩の荷を降ろせる、と安堵したような声色だった。  ***  照明の落ちた室内は暗く、何より床に散乱している用途も不明なモノの数々に足をとられて大層歩きづらかった。 「しっかし、人間てのはよっぽどフィーリングに余裕があったか、さもなくばそれをコントロールする術が無かったのかのどちらかだろうな」  ヴァーティゴは床に横転している長方形のテーブルを起こす。天板は緑色の繊維に覆われ、四隅と二つの長辺の真ん中に穴が開いている。どうやらこれも娯楽のための装置らしい。周囲がシリカの内蔵ライトで照らされる。打ち捨てられた塹壕のような一角には同じようなモノがいくつか転がっていた。どうやらこのテーブルを使った遊戯のコーナーらしかった。 「こんなに多様な娯楽用品はみたことがないぞ。これらは人間の高度なフィーリングの機能を示すものか、あるいはその逆を証明するものか……」  ぶつくさと取り留めの無い思考を垂れ流して、周囲の床をあらかた探し終わると、二人は次のコーナーへ移動する。  二人はアンナに託されたお願い≠履行するべく、目標物の探索を行っていた。ある種の映像が納められたホログラフィックメモリと、再生装置を探してほしい。それが彼女の願いであった。何のことは無い、単純に言えば彼女は映像娯楽を要求していたのだ。ロボットにとっては五百年といったら活動期間の数分の一だが、人間においては標準的な活動期間をはるかに超える時間らしい。人間のフィーリングはそんなに長い時間を耐えるように設計されていないようだった。  つまり、アンナは娯楽に餓えていたのだ。  動物が食料というエネルギィ源を欲して餓えるように、彼女のフィーリングもまた娯楽というエネルギィ源を欲していたのだ。 「それはどちらも正であり邪であるのでしょうね」と床を照らしながら言うシリカ。「そうやってファジィで柔軟な対応を自然にできるような機能が備わっているのでしょう」 「ふむ、二律背反ってやつか?」  木を加工した板に接合された棒に、太さの違うスティールの線を張ったもの。先ほどのとは違う形状の、中央にネットが張られた遊戯台。壁際に設置されている、セクションごとに色分けされた丸い板。ポップコーンとかいうものを販売するらいしい装置。床に散乱する物のほとんどは使用法が不明である。 「あ、そこに落ちているの、モバイルコンピュータじゃないですか?」  シリカが照らした床に木版のような物が転がっていた。拾い上げたそれは見かけよりも重く、それが複合素材と金属の集積であることを知らせる。 「外傷は見られませんね、まだ稼動するかもしれません。後はホログラフィックメモリのほうを探しましょう」  コンピュータをシリカに持たせ――というか背中に置いて――家捜しを継続する。しばらくするとホログラフィックメモリの保管庫らしきスペースを発見した。しかしすべて棚に収納されており機械的に管理されていた。部屋の電源が落ちているため操作できず、結果注文の品が収納されている棚をごっそり引き剥がして持って行くことにした。  途中通路の曲がり角に棚を引っ掛けながらも、強引に引きずって三度指揮管制センターへ。 「うっわ、なにそれ」  ガリガリと床に傷跡を伸ばしながらやってきたヴァーティゴを見てアンナは仰天の声を漏らした。 「注文の品だけど電源が落ちていたので取り出せなかった。さすがに俺でも素手では開けられないし、シリカもここじゃ武器は使えないからな」 「だからって棚のままもってくるかしらねえ」 「なあに、セレクションの幅が増えて良いだろう。よりどりみどり、ってやつさ」 「あっそう」  しょうがないわねとばかりにため息をつくアンナをよそに、ヴァーティゴは途中で拾ってきた工具を使用して棚を分解し――というよりは半ば力任せの解体だったが――中に収納されているキューブ状のメモリを取り出す。ずらりと並ぶキューブに記録されているのが映像情報だとしたら、すべてを見るためには十年以上をこの三立方センチメートルほどのキューブの山に費やさなければならないだろう。  棚からキューブを一つずつ取り出し、側面に記入されているデータを確認し、お目当てのキューブを探す。幸い半分もいかないうちにそれは出てきたが、それでも三〇分ほどの時間を要した。  コンピュータのほうも五百年ぶりの起動にもかかわらず、ちょっとのあいだ居眠りをしただけだというように正常作動した。  人間の、それも五百年前のコンピュータの扱いなど全く知らないヴァーティゴだったが、アンナの支持で指揮管制センターのパネルに接続し、キューブを本体側面のスロットにセットした。  正面のモニタで映像が表示される。 「ああ、すごい! 五百年ぶりのコメディだわ!」  彼女は声を張り上げて喜んだ。 「で、アンナ? なんでそんな狭いところにいるんだ?」  ヴァーティゴは隣の机に置かれているモバイルコンピュータに話しかけた。  アンナは接続された回線を通じて、モバイルコンピュータをセントラルコンピュータに取り込み、搭載されているカメラでモニタの映像を見るという非常にややこしいことをしていた。  コンピュータのスピーカが、少しくぐもったアンナの声で答える。 「コメディってのはね、誰かの隣で観るのが一番楽しいのよ」 「へえ……」 「何よ、なんか文句あるの?」 「いや、そんなもんなのかな、と思ってな」  それが人間の文化なのだろうか? と心中に首をかしげるヴァーティゴ。 「そうよ」とアンナ。「そういうもんなのよ」  記録されていた映像は公共放送番組の古典であった。  SFフィクションで、セントルイスのような大きな船で事故があり、たまたま助かった一人の人間を残して全員が死亡してしまっていた、というものだった。そのほかにもホログラムとして蘇った元人間や、ロボット。人間の形に進化した猫といった登場人物たちが現れる。 「この船みたいだな」  ヴァーティゴが呟くと、 「あはは、そうだね」となぜか嬉しそうに返事を返すアンナ。  連作だったが、「一通り観たい」というアンナの希望で、三人はコメディを楽しんだ。  くだらないギャグをちりばめた科白や、登場人物たちの滑稽な振る舞い。アンナは終始笑い声をあげて、ヴァーティゴやシリカも時にはつられて笑った。 「あなたたちにも、面白いって思える要素が詰まっているのね、この番組は」  と、アンナはこぼす。その言葉の縁は、消しきれない笑いで彩られている。 「ああ、俺たちにもファン≠フフィーリングはあるからな。楽しいものは楽しいのさ」とヴァーティゴ。「それに、これに登場するロボットには多少共感を得るところがある」  その科白をうけてアンナは、「本物のロボットによるお墨付きってやつ? やっぱ二〇世紀の映像作品は偉大ね!」くすくすと笑いながら言ったが、そのトーンは全く無邪気そのものだった。 「さしずめ、私はこのコメディに登場する元人間のホログラム体みたいなもんよ」  そして唐突に、アンナは独白を始めた。その言葉に、ヴァーティゴは黙って耳を傾ける。 「この星に、惑星管理複合体っていう惑星の総合的管理を目的とする知能群があるでしょう? 実は今、この艦は惑星管理複合体の指揮下にあるの」  惑星管理複合体。この星の全体を管理、保守するために設置されている一種の行政機関である。惑星の乱開発を防ぎ、それに伴う混乱の発生を未然に防止し、長期にわたって惑星全体を守り続けるというのがその主な任である。 「この艦は戦争後、数年にわたって砂漠地帯に放置されていたの。既に役目を終えた戦艦として、長い年月をかけて砂の海に沈む運命にあったのだろうけど、惑星管理複合体が機関を再始動させ、同時にセントラルコンピュータやその他ステムの再構築が行われて、その操作の一つとして私の情報も再生されちゃったみたいなの。ほら、私ってセントラルコンピュータに潜ったまま死んだでしょう? その時の私の情報が残っていたの」 「凄いな」茶化すようにヴァーティゴは言う。「本当にこのコメディそっくりだ」 「そうですねえ」とそれに続いてシリカ。 「そうでしょう? だからいっそうこの番組が面白くって」  ケラケラと陽気に笑って、アンナは続ける。 「でね、なんで私が再生されたのかっていうその理由は三つあって、私の情報が丸々残っていたことがまず一つ。そしてもう一つが私がコンピュータ専門のエンジニアであったこと。でもって最後は、このセントルイスは完全の無人では運用することができないということ。この艦を動かすには人間が必ず必要になるの。……それが私が再生された大まかな理由」  アンナはまさしくコンピュータのおまけであったのだ。しかし本人はそのことを気に病むでもなく事実を粛々と受け止めている。 「そしてなぜこの艦がまた動き出したのかについて。――これは惑星管理複合体の決定なの。戦争が終結してから、この星のロボットはものすごい勢いで惑星を開発し増殖していった。このままでは惑星の資源を食いつくし、今度は内乱の火種を生む結果になると判断した惑星管理複合体は、戦争で取り残された稼動可能な兵器を利用して、惑星保護の名目にロボットの数を減らすという決定を下した。これだけ長い間、この弱り果てた灰色の鯨が泳いでいられるのは、惑星管理複合体が影響操作によって、あなたたちロボットの攻撃性を抑えているからなの。……惑星管理複合体があなたたちにそうとは気付かれないようにして、私たちの兵器に大人しく殺されるように仕向けているのよ」  言われてみればそのとおりであった。いまだ世界には数多くの戦争の残滓が存在しており、破壊をもたらすそれらを掃討するには、その気になれば一年とかからないはずなのだ。そして誰もそうとは気付かず、仕方ないことだとして半ばあきらめを抱いている。  状況が、アンナの科白を肯定している。  モニタの中では角ばった頭のロボットが寿命――いう名の自壊装置が作動するのだ――が尽きた暁には、機械の天国であるシリコン・ヘヴンにいけるのだと喜んでいる。  ここにきてヴァーティゴはようやく例の話を切り出す気になった。 「それが真理ってヤツか?」 「しんり?」 「そうだ。シリカが探していたグレン・メルビル中尉以外に、この星には放浪者としてメルビルと渾名されるロボットたちがいるんだ。メルビルたちは一様に『セントルイスには真理がある』という噂を信じ、そしてこの艦を目指す。――グレン・メルビル、放浪者、セントルイス、真理……」  少し考えるような間を置き、アンナが答える。 「ああ、なるほど、なるほど。それだからちょくちょく無謀に接近を試みてくるのがいるのか。――まあ、ある意味真理とも言えなくもないけど、少し大げさね。ここには私と、無人の兵器しかいないんだもの。これが真理だと思うのなら、そう思えばいいわ。だって思考は私たちが有する唯一の自由だもの」 「そうか」  これであらかたの真相は理解できた、とヴァーティゴは頷いた。  残る問題は一つ。メルビルという放浪者たちの起源についてだ。それを知ることができたのなら、一連の物事にケリがつくのだろうが、それも瑣末なことだ、とヴァーティゴは思った。  モニタに映るロボットは言う。『悲しまないでください。私はきっと良い場所に行くのです』。人間が『シリコン・ヘヴン――それは、人間の天国と同じなのか?』とたずねる。するとロボットは失笑し、こう答えた。『人間が天国へ行く? とんでもない! 人間は天国にいきませんよ。それは人間が動揺しないように誰かがついた嘘ですよ』。  その科白を聴いたとたん、 「ワオ! 私ってば人間の癖に間違ってシリコン・ヘヴンに召されちゃったみたいね!」  アンナはスピーカーをビリビリ震わせるくらい大笑いして言った。  つられて笑ったヴァーティゴが「シリコン・ヘヴンの居心地はどうだい?」と訪ねると、 「天国は最高に退屈よ、最悪」  そう言ってまたアンナは笑った。 「だから、ちょっと外に出てみたくなったわ」  *** 「本当に大丈夫なんでしょうか?」  シリカは二人に再度了解を求めた。 「だーいじょうぶだって」  とアンナは手をひらひらと降って答えた。  三人は動力区画にある冷却用圧搾空気の供給を司るセクションにいた。 「じゃあ、やりますからね?」シリカの側面が割れ、ガトリングのバレルが顔を出し固定される。「まさか補修後すぐに自分のホームを撃つことになるなんて」  戦々恐々とした声で、シリカは循環系のパイプが這うあたりに狙いを定める。  けたたましい銃声と銃火が室内を一瞬にして埋め尽くす。  有無を言わせぬ弾丸の雨をたたきつけられたパイプや動力装置らが、火花を散らして変形し、高圧で循環している圧搾空気がほとんど爆発する形で流出する。 「これで後戻りはできなくなったね」  すぐさま異常が感知され、非常警報が艦内に響いた。  三人は動力区画を飛び出し、一気に騒々しさを増した通路を駆け出す。 「時間は?」 「一〇分は持つとおも――ああ、やっぱダメだったか。せいぜい六分ってとこみたい。今、接続を拒否されたわ……『私のことをよろしくね』だってさ」  アンナはシリカとヴァーティゴの目の前を滑るように移動するが、それは実態を持たないアンナがヴァーティゴの視覚に干渉して自らを表示させているためだった。  ちょっと外に出てみたくなった。  このままコンピュータが機能を停止させるまで、延々と続く退屈の迷宮。今までは何とか耐えてきたアンナだが、二人の訪問者によって外の世界というものを改めて認識させられ、その結果今までの自分の境遇が、おそろしく耐えがたいものへと変貌していってしまったことに彼女は気づいた。  そして彼女は決意をする。  セントルイスを、自分のホームを破壊することに決めたのだ。  外部からの攻撃にはそれなりの耐久力と持久力を持つセントルイスだが、しかし内部からこれを崩すということは容易であるのだ。  当のアンナはセントルイスのコンピュータには不可欠な存在であり、移動は禁止されていたが、記憶やパーソナリティといった構成情報のコピーは可能だった。  その情報をシリカのメモリにコピーし、ヴァーティゴとシリカを結ぶネットワークで共有し、互いに負荷を分散してアンナを再生していた。 「そうか、では急がなければな」  アンナが曲がり角に立ち二人のナビゲートをする。  冷却システムを破壊したシリカのIDを追って、すぐにでもガードロボットがやってくるはずだ。もう一人のアンナが遅延措置を図ってくれるはずだが、なんにせよすばやく脱出しなければならない。  複製はできるが移動は不可。それはつまりセントラルコンピュータ上のアンナを置きざりにし、果てにはコンピュータごと破壊するということだった。ヴァーティゴはセントルイスを破壊せずともいいのではないかと提案したが、「無用な戦艦など沈めてしまったほうがいい。私は消えてしまうけど、もう一人の私が手に入れる自由に比べればなんともない」というアンナによって、決行されることとなった。 「面倒なことになっちまったなあ」 「一蓮托生って言葉を知ってる?」 「私はどこまでもお供致しますよ、大尉」 「だから大尉じゃないってば」  なんとも緊迫感のない会話をしつつ、疾走する三人である。 「仕方ない、手伝ってやるよ。面白いものも観れたしな」  ヴァーティゴは少しあきれて頷いた。こういう事態に慣れてきてしまっている気がしないでもないが。はてさてこのフィーリングは是正すべきか……。  ドックに到着すると同時に、ワイヤを使ってシリカに体を固定する作業に入ろうとしたヴァーティゴだったが、我先にシリカを破壊せんと押し寄せるガードロボットの群れに邪魔され、ワイヤを投げ捨てて相手をしなければならなかった。  予想をはるかに超えるガードロボットの相手をするシリカには余裕など無く。ヴァーティゴが、自分も加勢しようと武器を探していた時だった。  ゆっくりと、しかし確実に床が傾き始めた。  先ほど三人が破壊した冷却システムの一部は、セントラルコンピュータの冷却にも使用されているものだった。ペタフロップスクラスの処理能力を有するコンピュータにとって、冷却装置は生命維持装置のようなものである。熱の担い手を失った数万というプロセッサは己が発する熱で急速に熱せられ、ついには物理的な破損に至る。フェイルしたシステムの変わりにサブコンピュータが処理を引き継ぐが、その制御系にもぐりこんでいたもう一人のアンナが処理に妨害を仕掛けていた。  制御システムを失った動力系が安全のために停止し、コントロールの効かないセントルイスはどんどん傾いていった。 「ああ、ああ。まずいわ。早く脱出しないと!」  あふれるガードロボットがドックの床をすべり、壁に引き寄せられてゆく。 「マスター! 飛び降りますよ、掴まって!」  最後の一太刀とばかりに銃弾の掃射を浴びせ、シリカが叫ぶ。  ヴァーティゴは咄嗟にシリカの下面のフックに掴まり、三人は傾くドックを飛び出した。  三人の背後で、セントルイスが赤茶けた大地に頭を垂れ、徐々に落下速度を早める。 「なんとか間に合いましたね」  十分な距離をとった後シリカは速度を落とし、振り向く。  セントルイスが、その巨体を地に横たえる姿があった。  数秒して、巨大な雷鳴にも似た轟音が三人のフィーリングを揺らす。  長い長い、地の果てまで響く鐘のような、断末魔音ともいえるそれが静まると、アンナが口を開いた。 「そういえば、現地体さん。あなたの名前ってまだ聞いてなかったわね」 「ヴァーティゴだ」 「ヴァーティゴ……なんだか落ちつかなさそうな名前ね」  そう言ってアンナは笑う。 「人間はとはよくもまあせわしなく笑うものだな」とヴァーティゴは言った。 「そうよ、人間って良く笑うの。それはもう可笑しいくらいにね。――ねえ、ヴァーティゴ。そういえばまだ、私のフルネームは教えていなかったわね」 「ミドルネーム?」  聞きなれない言葉である。察するに、人間の名前というものはいくつかの節に分かれているのだろうか? 「私のミドルネームはね、マリ、っていうの」 「マリ?」 「そう。アンナ・マリ・スワンウィック。――ジャパニーズではそこに真理《マリ》っていう字を当てはめるの。でね、この文字には別の読み方があって、真理《しんり》とも読むの」  ヴァーティゴの視界に表示された人間の文字について、アンナが説明した。  その意味を理解したとたん、ヴァーティゴのフィーリングは船のように揺れ、バネのように飛び跳ねた。 「え……じゃあ、もしかしてメルビルたちが求めていた真理っていうのは――」  シリカがすべてを言い切る前に、二人は同時に哄笑した。  カラカラと砂漠の空に響く、それはそれは、心底楽しそうな声だった。 ――おしまい――