何処かの遠い国で自爆による事件が起きた。アナウンサーはそんな危険なところに自衛隊を派遣するのはどうか なんて誰も聞いていない事を黙々と喋っている。  場面は変わり、ライオンのような髪型をした首相が非武装地帯がどうのこうの、と僕には良く分からない事を フラッシュを浴びながら喋り続けている。 「本当、恐いわねぇ」  母はひとりごちて、机の上においてあるチョコレートのお菓子をひとつ口に入れた。  僕も自爆は恐いと思う。だけど、遠い異国の地で自爆している人達の気持ちも少しは、分かるような気がする。  自爆がいいことだと、言うつもりはない。何となくだけれど、それが悪い事とも断言も出来ない。境遇は全く違う。 ぬくぬく育っている僕と食べる物もままならない異国の地の彼ら。そんな僕と彼らの価値観。それが一緒なわけがないのだ。 分かった振りをしているということは、自分でも認める。けれど、彼らの気持ちが全く分からないわけでもなく、 「コイツラ頭オカシイんだ。俺とは違うからね」とは言えない。  じゃあ君と彼らが同じなの?  と聞かれると間違いなく僕は「NO」と答えるだろう。  学校へ行くと、昨日のニュースで話は持ちきりだった。  ついに日本人も狙われるようになったか、なんていう風に言う奴も居れば、そろそろドンパチするんじゃねーの? と声を弾まして言う奴も居る。いやそんなことにはならないだろうね、と何処かしたり顔で話す奴も居る。  これが彼らと僕らの違い、なのかも知れないな、と思う。『死』と言うものが遠くの、それこそ見ようとしても見えない位置に居る。それが僕ら。そして、『死』が手を伸ばせば届きそうな位置に居るのが、彼ら。  じゃあ僕らは自爆しないのか、と言われればそれは違う。ほんの小さな自爆をする。彼らにすればどうでもいいような、それでも僕らにとっては世界を揺るがすような小さな自爆。 「おい! 来たぞ!」  教室の引き戸が開く音と、彼女は俯いて立っていた。誰の視線も捉えないようにしているのか。僕には分からない。  クラス中から纏わり付くような粘っこい視線を浴びながら彼女は教室に入ってくる。クスクスと笑う女子の声、にやにやと下卑た笑みを浮かべる男子。僕は、そのどちらでもない、と言いたかった。  切り揃えられた前髪と長い黒髪。初めて見たとき、僕は彼女を「大人しそうな子だな」と評価した。だけど、時間が過ぎていくうちに「真面目な奴だな」に変わり、「仕切りたがりだな」に変わって、「クラスのいじめられっ子」に変わった。  彼女が僕の右斜め前に座る。それと同時に彼女の背中が小さくなったような気がした。クスクスとまた笑い声が聴こえる。男子だとか女子だとか関係無しに、クスクスと笑っている。  僕は知っている。彼女の机に何が書かれているか。赤のチョークで「調子乗んな」、黄色のチョークで「死ね」。  大きく、僕の席からも十分見えていた。本当は消したかった。正義だとかそんな大それたものじゃない。『自爆』した彼女を救ってあげたいとも思わなかった。  むず痒くなる言葉だけど、彼女が好きだったから、力になってあげたかった。ただそれだけだった。  テレビは昨日と同じく、自爆テロの話をしていた。アナウンサーが質問して、専門家がそれに答えると言うものだった。  普段ニュースなんか見ずにゲームに興じる僕なのだけれど、何故か今日だけはテレビに釘付けになっていた。  専門家は自衛隊がどうのこうの、だとか、今の首相は何を考えているんだ、だとか。そんなことばかりで僕が聞きたかった事を一つも言ってくれなかった。  何を聞きたかったの?  ブラウン管の向こう側の専門家がそういったような気がした。  分からない。  じゃあ別に構わないんじゃないの?  そういうわけでもない。  変なガキだなぁ。  うん、自分でもそう思うよ。 「なんだ、一樹がニュース見てるだなんて。明日雪でも降るんじゃないのか」  風呂上りの父がビール缶のプルタブを引きながら僕に言った。僕は振り向かずに父の喉を鳴らす音を聴いた。 「一樹、お前はこのこと、どう思う?」  ビールを飲んで一息ついた父が僕に言ってきた。 「どう思うっていうか、やべぇなぁ、って思うっていうか……」 「まぁそうだろうな」父は自分の生徒に話すかのように言った。「だけどな、父さん、彼らの気持ちが分からないでもないんだ」  僕は耳を疑った。父は職業柄、真面目なことしか言わなかった。不良少年の話がニュースで取り上げられたら「一樹はこんな風になるんじゃないぞ」、親が子供を殺したなんていうニュースが流れたら「人の風上に置けないな、こんな親」なんていう風に。けれど、別に嫌いじゃない。それが「普通」なんだ。 「こんなこと学校じゃまず言えないだろうなぁ」父は照れくさそうに笑って続けた。「もしな、父さんが死んで現状が、例えば母さんや一樹が幸せになれる、っていうんなら父さんはそれもあり、なんじゃないかなと思うんだ」  父は照れを隠すかのように、ビールを飲み干した。  やっぱり親子なんだなぁ、と思う。そして、父の言葉は僕の一番聞きたかった言葉なのかも知れないな、と思った。  彼女のことを好きになったのは順々に工程をクリアしていったわけじゃない。かといって一目惚れでもない。  偶々一学期、僕と彼女は隣同士になった、それだけ。だけど、間近で見る彼女は可愛かった。クリッとした目に、切り揃えられた前髪。ちょっと甘い匂いもしたんじゃないかな、なんて。  こういう場合なんていうんだろう、と考えたことがある。一目惚れというわけではないだろうし、かといって何もお喋りから、性格がわかって、仲が良くなって好きになったと言うわけでもない。馬鹿なガキの馬鹿な恋、とでも言おうか。  昼休み、僕は彼女の元へと向かおうとした。右手には購買で買ったパンの袋と紙パックのジュースが二つ。彼女が何処にいるか、検討はついている。誰にも見つからないようにと、体育館裏に居る。陽が全く当たらないジメジメとした場所。  まだ頂点には達していない陽光は暑かった。夏の陽気といってもいいんではないか、と思うくらいに暑かった。秋は、まだ来ない。 体育館の裏は涼しいんだろうな、と想像すると同時に、一人で昼食を取る彼女の姿が簡単に想像できて、心臓を針で刺される感じがした。  お前馬鹿なんじゃねぇの?  自分に言ってみた。ああ、馬鹿だよな。確かに馬鹿だ。僕は笑う。誰も見ていない。風が体育館横の大木――名前は知らないのだけれど――を揺さぶった。  彼女は一人でお弁当を食べていた。僕に気がつくと、怯えたように視線を落とした。僕はお構い無しに横に座って、ジュースを差し出す。彼女は僕とジュースを 交互に見つめた。 「大丈夫、何も入ってないから」  彼女は疑っていたようだけれど、何も言わず僕からジュースを受けると、ストローをさしてジュースを飲み始めた。よっぽど喉が渇いていたのか、喉が勢いよく鳴る。 「何、しに来たの?」  彼女の声を久しぶりに聴いた気がする。押し殺した泣き声は何度となく聴いていた。一学期――彼女が苛められ始めた時以来だろう。彼女の声を聴いたのは。 「ジバクしに来たんだよ」  漢字の『自爆』は少々僕には荷が重過ぎる。けれど平仮名で『じばく』だと格好がつかない。だから僕の自爆は『ジバク』だ。  だっせぇなぁ。  うるせぇよ。  僕はまた笑った。彼女は目を白黒させていた。僕の言葉の意図なんか分かるはずがないだろう。だけど、少しはわかって欲しい気もする。 「私と居ると高橋君まで一緒に苛められちゃうんだよ? だから――」 「別にかまわねぇよ。言っただろ、ジバクしにきたんだって」  彼女は何も言わなかった。困ったように笑うだけ。  今はそれでいい。多分これから僕は大変な目に合うだろうと思う。だけど、いいじゃないか、とも思う。大人になったときに「こんなこともあったよなぁ」なんて言いながら笑って、惨めで馬鹿な『自爆』のことを少しでも胸を張れたらなぁ、と思った。