「ねぇ、おじいちゃん。何か昔話してよ。」 パキパキという小気味よい音を立てる暖炉。窓の外は白く染まっていた。 その前に居る老人に子供が話しかけた。 おじいちゃん、と呼ばれたその老人はゆっくりと口を開く。 「なら今日は伝説の竜騎士の話でもしようかね」  遠い遠い昔、まだ空に竜が舞っていた時代のお話……。 木々の仲を風が吹き抜ける。さわさわと鳴る葉、波を起こす草。 そんな森の中を一人の少年が歩いていた。 少年の名はチャン。何の変哲もないただの少年だ。 彼のお使いから物語は始まる。  いつものようにお使いに出された帰り、チャンは道ばたに”木”が転がっているのを見つけた。 昨日は台風だったもんな…と思いつつ、近くに寄ってみる。 右側が黒い。ん?と思いつつ覗き込んだ。 ボサボサの髪。そして無精髭。そして身に纏っていたのはよれよれのロングコート。 その何かはもぞもぞとした後、虚ろな目を少年に向ける。 「……水と飯……く…れ……」 草が擦れ合う音よりも小さな声で言い終わると、朽ち木のようになった。 頭が真っ白になると言うのはこういうことなのだろう。少年は呆然としていた。 顔を横切る風にふと我に返る。 肩に掛けていたカバンを開く。おやつにしようと思っていたリンゴが1ッと水筒。することは決まっていた。 「おじさん、大丈夫? 」 「大丈夫ってことばは大丈夫じゃない人間に対して使うもんだよ、少年。それに俺にはちゃんとした名前がある。”おじさん”じゃない。」 獣が肉に対してむしゃぶりつくようにリンゴを砕きつつ、”何か”が言った。 「じゃ、おじさんの名前教えてよ。」 「人に名前を聞くときは自分から名乗れって教わらなかったか? 」 チャンは少しムッとしつつ 「僕の名前はチャン。で、おじさんは? 」 「俺の名前はジェディット。」 「何でおじさんはあそこに居たのさ? 」 「まぁ、旅の途中で食い物が尽きてな。何か無いかと探してたらあぁなっていた。」 ”危ない人とは付き合わないようにね”と言う数日前に母から聞いた台詞。 確実に危ない人だ。最近本で読んだ話で例えるならそう、コーラを飲んだらゲップが出るぐらい確実に。 しかし、何故か警戒心は起こらなかった。むしろ何処か懐かしささえ感じていた。 「ところで少年、村はどっちだ? 」 えっと、と言いつつ道を思い浮かべる。上手く思いつかなかった。 しばらく考えていたが、らちがあかない。辺りを見回すと夕日が隠れ始めていた。 「この辺りは似たような道ばっかだから僕が案内するよ。」 「それは助かる。ありがとな、少年。」 きぃ、と音を建ててドアが開く。 チャンの目の前には30代前半の女性が立っていた。 きっと普段から柔和な表情なのだろう自然に微笑んでいる。 ただ、その目は笑っておらず、両手は腰に当てられていた。 「こんな遅くなるまで一体どうしたんだい? 」 「えぇと……道ばたで倒れてた旅人さんに合って――。」 しどろもどろになりつつチャンは必死に説明した。 「へぇ。で、あんたが案内してきたと。」 「うん……。ダメだったの?」 「ダメな訳あるかい。むしろ久しぶりの客人なんだからね! で、どちらがその旅人さんだい? 」 チャンの母はドアの辺りを見た。しかし人はいない。 不思議に思って屋内に視線を戻す。 部屋中央のテーブルに何かが座っていた。 「あんたが旅人さんでいいんかい? 」 「あぁ。」 「チャンの話だとこの辺りの人じゃ無いみたいだしね。細かいことは言わないよ。 でも、宿を貸すなら旅話ぐらい聞かせておくれよ。」 「……そうだな、空の大陸の話でもしようかな。」 「空の……大陸? 」 「この世界の上に浮かぶ小さな大陸の話さ。」 こうしてジェディットから語られる、まだ見ぬ世界の話にチャンは目を輝かせる。 一人の少年と母そして一人の旅人の夜は更けていった。 パキパキと言う音にチャンは目を覚ました。真夏のように熱い。 眠い目を擦って外を見る。 赤い世界が広がっていた。 「お母さん!お母さん!」 必死に自分を落ち着けて部屋の戸を開ける。 その後は居間を挟んで向かいに有る母の部屋の戸を開ける、ハズだった。 床に転がる母。胸は赤く染まっていた。 「お母さん!! 」 カタンという音にチャンは振り返る。 目の前に居たのは見慣れぬ男。右手には手には赤く濡れたナイフ。左手には松明が握られていた。 「まだ生き残りがいやがったか……。」 そう言うと男はナイフを真っ直ぐに突き出した。 あぁ、僕は死んじゃうのか…とチャンは思った。 目をつぶり死を覚悟する。 だがチャンの予想は裏切られた。目の前にあるのは一本の腕。そして床に突っ伏す先ほどの男。 そして、ジェディットがいた。 「おじさん!腕が……。」 「別に大したことはないさ。こんな程度のナマクラじゃ傷もつかねぇよ。それより早く逃げるぞ。」 燃えさかる家のドアを開け外に出る。 更なる絶望がチャンを襲う。 地面に積まれた村人達。崩れかける家々。舞う火の粉。村が、村全体が炎に包まれていた。 「そんな……嘘…でしょ……?」 口から言葉が漏れる。頬を雫が伝わった。 「おやぁ。キースの奴に見回りに行かせたんだがなぁ…。”一人”取り逃がしがあったか。」 チャンは声の方向へ視線を向ける。大男が一人、その他の男が四、五十人。 次に”一人”と言う言葉が頭をよぎる。隣に居るはずのジェディットが居ない。 「ま、「皆殺し」って指令は貰ってるしな。」 大男が誰に言うわけでもなく話す。 「殺れ」 今度こそチャンは死を覚悟した。 だが、心にふつふつを沸き上がる怒りは押さえきることが出来なかった。 どうせ死ぬならせめて一人か二人は道連れにしてやろう。 そう誓ったとき、空から低い轟音が響き渡った。 上を向く。白い竜がそこにいた。盗賊達は恐れおののいている。だが、大男のみは平然としていた。 それと同時にチャンの頭の中に聞き慣れた声が響く。 「少年。一つだけ聞く。”力”が欲しいか? 」 「おじさん……僕は、村のみんなの敵を取りたい。」 「YESかNOで答えるんだな」 「答えはYESだ!! 」 そうチャンが答えると同時に空から雨が降り出した。 じゅっ、じゅっと火に水が当たる音がする。 「少年、俺の本当の名を貸してやる。やり方は分かっているはずだ。」 やり方…?とチャンは思った。だが、以前どこかで知ったような気もした。 「我が名は……」 己の無意識にチャンは身を任せた。 「パイロン!!」 チャンの全身を水が包む。次の瞬間、チャンは自分の変貌に驚いた。 腕から上半身をびっちりと包む鱗。 ズボンを破り生えた尾。 ひっ、化け物…と盗賊達が喚く声が聞こえた。 「ちゃんとできたじゃないか…。えらいぞ、少年。」 「そんなことより僕の姿は何なんだよ? 」 「早い話が少年は俺と一体化したのさ。少年達の言葉で言うなら竜騎士と呼ばれている存在に成ったと言えば良いのかな。」 僕が…竜騎士……?と頭をよぎる疑問を振り払い、チャンは全力で盗賊の元へ突撃する。 盗賊達は蜘蛛の子を散らすように逃げ出したが、大男のみ仁王立ちで突っ立っていた。 「報告通りだな…竜騎士の素質を持った少年が居るってのは。まぁ、「白竜」が居るってのは聞いて無かったがな……。」 そうボソリと喋ると大男は腰に下げた剣を掲げ、叫んだ。 「我が名は「ミズチ」!!」 大男を水が包む。水の卵から出てきたその姿を見てチャンは驚いた。 鱗に包まれた上半身、生えた尾、そして目は爬虫類のような糸目。 チャンと同じような姿が現れたのだった。 「どういうことさおじさんッ。」 「奴も竜騎士ってことだな。まぁ模造で俺に勝とうなんざ良い度胸だよ。」 「さて、準備は良いかな?坊主ッ。」 剣がチャンへ振り下ろされる。 腕で剣を防ぐ。がきんという金属音。痛みがじわりと伝わった。 「やっぱり素体がガキとはいえ白竜相手に不使用の状態じゃ無理か。」 折れた剣を持ちつつ大男が呟く。 スッと構えられた剣は螺旋状に水を纏っていた。 「坊主、次で終わりだ。」 キィィという音を立てて水が高速で渦を巻く。 次は腕では防げないことをチャンは悟った。 「相手は本気で殺す気らしいな。どうする、少年? 」 「どうするって決まってるじゃないか。アイツを倒す。 」 「良い返事だ。ならすることは分かっているな?」 うん、分かっているよとチャンは思った。 相手に向けて顔を向けた。 全身の意識を口に集中させ、大きく息を吸い込む。 全てを押し流すイメージを描く。 息を吐き出す。 チャンの口からはき出されたのは息では無かった。細い光線のような水流。 大男の剣を持った右腕が吹き飛ぶ。 さらに水流は右足を吹き飛ばした。 「ま、待てよ……い、命だけは……。」 わなわなと口を震わせて男は言葉を紡いだ。 「そういった母さんや仲間を殺したんだろ?」 ザァァという雨の音が強くなった気がした。 大男の目の前でチャンは口を開いた。 貫く、水流。 残ったのは首のない大男。 終わった。みんなの敵はとれたんだ…とチャンは思った。 そう安堵したとき、チャンの意識はねじ曲がるように消失した。 「オイ、少年起きろ!」 ん?夢だったのかな、と思いつつチャンは辺りを見回す。 燃え尽きた家屋や遺体。それは少年に現実を認識させるには十分すぎた。 「少年!! 」 「分かってるよ、おじさん。」 そう言ってジェディットの方を見た。 「で、どうするんだ?お前は。」 「決まってるじゃないか。僕はおじさんに着いていくよ。」 「嫌だっても連れて行く気だったけどな。いろいろな事情込みで。」 ふぅんと言いつつ荷物をまとめた。 そのとき、ある疑問がチャンの口をついた。 「一つだけ聞いても良い? 」 「何だ。」 「なんで僕を助けたのさ? 」 「お前が俺を助けたからさ。」 「それだけ? 」 「それだけ。不満か? 」 別にぃと笑う少年を朝日が包んでいた。 「で、この後少年はどうなったの?」 子供が目を輝かせる。 「今日はもう遅いからねぇ……。またいつか。」 えーっと言葉を漏らしつつ子供は寝床に向かった。 そのいつかを何時にしようかと思いつつ、老人も深い眠りに落ちた。